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 「飛鳥ちゃんまじかわええよな~。純もそう思うやろ?」

 

 ぎょっとして後ろを振り向くと体育館の光で黒く反射する姿が見えた。佐々木だ。そうだな。とだけ返した僕につまらなさそうな顔をしながらポカリをごくごくと飲み飲み切るとすぐ飛鳥ちゃんへの熱い想いを語りだした。それにつられるようにほかの部員も佐々木を囲んでうんうんと相槌をうつ。あいかわらず会話の中心になってしまう佐々木には感心する。

 

ーデートするならどこがええかなー、遊園地とかええよな

 

ーわかるわ~、でもシンプルに服見にいったりもええよな

 

ー新しい服買うか迷ってる飛鳥ちゃんくそかわええやろうな~~

 

ーそいや飛鳥ちゃん彼氏できたらしいで

 

ーあ、聞いたことあるそれ2組の横山が歩いてるとこ見たらしいで。誰かはわからんかったらしいけど、確か背が高くてがっちりしてて、

 

 ビーッ、タイマーが体育館を震わす。ええとこなのに鳴るなよなあ、とみんなが口々にぼやく。俺も心の中で小さくうなずいた。柳さんに彼氏。いったいどんな人なんだろう。きっと背が高くてひょうひょうとしたたたずまいをした時々みせるさわやかな笑顔が特徴的な人なんだろうな。いや、少し色黒でがっちりした年上の人かもしれないな。そんなことばかりが頭を駆け回る。柳さんに彼氏。

 

 試合形式の練習はほかの練習よりも熱が入る。特に顧問が見に来るこの時間帯のこともあって今日はいつもよりみな躍起になっていた。パスを受け取ると相手と対峙したときにほとばしるように聞こえる鼓動。鋭く光らせる獲物を狙うかのような視線。徐々に体が熱くなっていくのを感じる。ダンっと強く地面をけりつけ右、左と駆け、視界の右端でとらえた佐々木にワンバウンドでパスを送る。キュッキュと地面を鳴らしシュートを軽やかに佐々木は決めた。頬をしたたるきれいなしずくには目もくれずディフェンスへ走る。5と書かれた赤いビブスはコートの端から端まで縦横無尽に駆け回る。ディフェンス戻るの遅いよ!ボールだけ追いかけても意味ねえから!大きな声で響く指示に部員は将棋の駒のようにせっせと動く。

 

柳さんの彼氏は佐々木。

 

急な風のように脳裏をよぎる。それは仕方ないことだ。背が高くてがっちりしてる人。なおかつ柳さんに似合いそうな男、そうなると一番に佐々木が思い浮かぶ。想像したくなくてもよぎる。想像の中で歩く二人の姿はどれもきれいでさわやかだ、とても俺なんかが勝てる相手じゃない。佐々木はうちのキャプテンでイケメンで背も高くてしゃべりもうまい。今年のバレンタインも5個ぐらい本命をもらっていた気がする。正直俺が目立って勝ててる要素はない。

 

 ふと視線を右にやると柳さんがこちらを見ている。目が合ってしまいそうでぱっと目をそらし、柳さんの視線方向へ向けると二人にマークされている佐々木がいた。

 

ーそいや、飛鳥ちゃん彼氏できたらしいで

 

 せめて、せめてバスケは。そうはやる気持ちの中意識をコートへ戻すと。佐々木からの人と人の間をかいくぐってきたボールがとんできた。受け取ったボールに対して自分の意識以上にぐっと力が入る。前へ前へ進みぎこちないフォームで放ったシュートはリングのふちにあたり転々と転がった。

 

 「おいおい純、さすがにそんなガッチガチなフォームで3Pなんて入んねーよ。焦りすぎ!」

 

 そういって佐々木は肩をはたくと俺の横を抜けていった。そんなこと、わかってる。

 

  この時期風通しのいい更衣室での着替えは少し肌寒い。ぱっぱと着替えを済ませ後輩たちに挨拶をして扉を開く。開いた瞬間に入ってくる風に身が縮む。明日からヒートテック着てこようかな。

 

 「おーい、純。マックいくべー。」

 

 「おっけー、部室のカギ返してくるから正門で待ってて。」

 

 急いで体育館からのびる渡り廊下を走り校舎に入って、右奥にある職員室へと向かう。ついたり消えたりする古びた蛍光灯に照らされ一人で歩いていると一人の女子生徒が出てくる。あれは、柳飛鳥だ。どうやら体育館のカギとバド部を返しに来ていたようだ。体育館のカギは月ごとにバド部とバスケ部が交代で返すようになっている。体育館のカギは職員室手前の部室のカギかけに置くとは別に職員室奥にいるいいがかりがいちいちめんどくさい体育教師に返さなければいけないので少し難儀なのである。来週からまたあの体育教師に小言を言われると思うと嫌になる。

 

 「あ、森本くん。お疲れ!」

 

 「お疲れ。」

 

 そう返事すると柳さんは点滅する蛍光灯の奥へと消えていった。カギを返しに行くのはめんどくさいがただこの瞬間が至福だ。唯一の会話の場。たかだか1往復の会話にも見えるかもしれない。ただクラスも部活も委員会も違う俺にとっては唯一無二の交流の場なのだ。その中で俺の中で大きな転機が訪れた。カギ返しで毎週あっていたある日に、

 

「いつもお疲れ。バスケ部の人だよね。名前なんて言うの?」

 

 そう聞かれたときはまさか話しかけられるとは思っていなかったから心臓がのどから飛び出るかと思った。この日を境に柳飛鳥という存在と全くかかわりあうことのない世界から脱出した。職員会議でカギを返せなくて待っているときにはおしゃべりできるようにもなった。カギ返しを命じてくれたキャプテンには感謝しないとな。

 

 カギを返し終えると、高まる高揚感を抑えながら先生たちに一瞥して何事もなかったように職員室を出て、佐々木や相良の待つ正門へと向かった。

 

 「おせーなー、なんしてたんだよ。」

 

 「普通なら返すのはキャプテンの仕事のはずなのに平部員の俺がカギを返すことになっているからしゃーないだろー。いうならキャプテンに言えよなキャプテンに。」

 

 「誰だよキャプテンー。」

 

 「てめえだよ。」

 

 そういって佐々木のがっちりとした肩をひっぱたく。あははは。とさわやかに笑う佐々木はやはり憎めない。

 

 ここ田上東中学校はザ・田舎といったような立地であるがゆえにマックに行くのも一苦労だ。チャリで片道30分。マックのためだけに行きかえり1時間を費やすと考えるとバカのようにも思えるがこれが田舎っぺの俺たちが唯一都会を感じれる場所だった。スタバに行こうと昔なったこともあるが田舎の俺達にはまだ早く何がおいしいかもちんぷんかんぷんであげくにトールサイズ?なんてのも訳が全然分からなかった。恥をかいた俺たちは高校生になってからだな、という結論に落ち着いた。

 

 田舎道を数分、国道に出て明かりの下をひたすら漕ぎ続けるときらびやかなビルや建物が並び始めた。めまぐるしく走る車やバイク。たくさん並ぶ標識に100mおきにある信号。どれも自分たちの住む町にない光景ばかりだ。チャリで30分かかるといえどさえれど30分の距離だ。どうしてそれぐらいの距離でここまでの違いがあるのだろうか。

 

 マックにつき、一通り注文を済ませポテトをかじりながらだべっているとわいわいはやいだ女子生徒たちの声が店内に入ってくる。するとマックシェイクを飲んでいた俺の頭を相良がたたいた。器官に入りむせ咳が落ち着かないままなんだよとにらんだ。

 

 「おい、東中のバド部じゃん。」

 

 「飛鳥ちゃんもおるやん!」

 

 小声で興奮する俺たちに気づいた彼女たちのグループがこちらに話しかけてきた。

 

 「あれ?バスケ部じゃん。こんなとこまで来るなんてもの好きだね~」

 

 「いや、それはお互い様だろ。」

 

 はははと笑いあうと、そこからは他愛のない会話で通路を挟んで1時間ほど盛り上がった。教師の愚痴、部活の雰囲気、彼氏彼女はいるかで盛り上がりちょうど柳さんのところで柳さんが立ち上がった。

 

 「あー、こんな時間だ。帰らないと。ごめんねー、聞き逃げみたいな感じになっちゃって!」

 

 「えー、それずるくねー。」

 

 「しょうがないよ、飛鳥は少し家の事情があるからね。バイバイ飛鳥。」

 

 「またね!」

 

 そういって笑顔を見せると店を出て行った。しかしなぜだろう、外を向く瞬間はかなく小さくなったような気がした。

 

 「家庭の事情って門限的な?」

 

 「んー、詳しくは聞いてないけどそんなとこだと思うよ。あの子育ちがいいからなー。」

 

 「育ちがいいのはなんとなくわかるよ。竹林と違って。」

 

 そういって竹林を指さして相良が笑うと竹林はうるさいと言ってぷりぷりしている。家庭の事情か、なんなんだろうな。まあ、人の家族に介入するもんでもないしと思い直し、会話へと混ざった。そんなこんなで盛り上がっていると10時になったことに気づいた。さすがに帰らないとということになりマックを後にし、それぞれの帰路へとついた。たまたま相良と俺は同じ方向だったので途中からは二人でチャリを漕いでると相良が突然神妙な面持ちになった。

 

 「なあ、純。飛鳥ちゃんに彼氏がいるって話し合ったやん。」

 

 突然の話に小さく心臓が跳ねる。

 

 「あー、あったね。それがどしたん。」

 

 精一杯平常心を装って返事する。少し声が震えたかもしれない。

 

 「まあ、あくまで噂なんだけどね。」

 

 「もったいぶらずにはよ教えろよ。」

 

 「翔平らしいで。ほんとかどうかは知らん。」

 

 声にならない声がでる。翔平ー。その名前の響きの強さに心の中でガラスが割れていくのを感じた。向かい風の強さで思うように自転車が進まない。はあはあと息遣いが荒くなる。

 

 「それがほんとならさ、どうしてあいつ教えてくれないんだよ。」

 

 「だから噂だってば!でも割とほんとくさいけどね。ほんと俺らに教えねーなんて水くせーよなー。」

 

 相良の言葉がまともに入ってこない。柳さんに彼氏。やっぱり柳さんの彼氏は翔平。ただこれだけの言葉と背中に刻まれた5のビブスが脳内を走り回っていた。